ツイッターのアカウントがロックされたことは、無料のサービスの罠についてあらためて考えるきっかけになりました。
私は、2008年9月にFacebookのアカウントを作りました。日本のユーザーとしては早い方であると思います。しかし、今から5年前、2016年8月にアカウントを削除しました。「無料のサービスに囲い込まれるのが嫌だったから」です
Facebookは、そのサービスが全体として1つの閉じた生態系(エコシステム)を形作っています。私の理解に間違いがなければ、Facebookは、ネット上の蟻地獄のようなものであり、ネット上で行われるはずの何もかもをFacebookの生態系の内部で完結させてユーザーの情報を完全に把捉することを目指してきました。私は、Facebookにログインするたびに、不快な仕方で操られているような感じ、具体的に言うなら、Facebookから外に出ることなく個人情報を吐き出すことに最適化された特定の行動を促されているような感じに繰り返し囚われました。
Facebookと比較するなら、ツイッターはいくらか開放的であると言うことができます。少なくとも、ネット上のすべてのアクティビティをツイッターの内部で完結させることを目指してサービス拡大する、などという野望はツイッターにはないように見えます。(ツイッターが有用なサービスであるかどうかはいくらか微妙です。というのも、ツイッターのサーバーに蓄積されたツイート全体の99.9%がこの瞬間に蒸発しても、それによって社会生活が滞ることはないはずだからです。)それでも、無料のサービスであるという点において、両者には何の違いもありません。Facebookが所有するInstagramも同様です。
私が、このような文章をFacebookではなくブログに掲載するのは、ブログのサービスの規格が共通であり、サービスのあいだで移動が可能だからです。もちろん、Facebookが気に入らなくても、他の類似のサービスへ引っ越すことはできません。
どのようなウェブ上のサービスを使うときでも、私は、まず、何かが気に入らなくなったとき、自分のデータを丸ごと抱えて別の場所に移動することができるかどうかを確認することに決めています。これは、サービスを提供する側とユーザーとのあいだの対等の、そして、道徳にかなった関係を維持するための最低限の条件であると信じているからです。