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若者における「同世代」の幅について

by 清水真木

 今日、次の記事を読みました。

 平成生まれの最初の市長が誕生したことは、それ自体としては悦ばしいことであると私は考えています。地方公共団体の首長の直近の当選時点での平均年齢は60歳に近いはずです。そして、もはやこの年齢では、どれほど強い使命感を抱いているとしても、まったく新しいことに挑戦するのは不可能であるに違いありません。

 ところで、若い市長が誕生したことに関連し、ネット上では、「若い世代の代表となりうる若い政治家が登場することには、投票率の低い世代の政治参加を促す効果を期待することができる」という意味の論評が散見します。

 現在の日本の政治家の平均年齢と「31歳」(市長の現在の年齢)を単純に数値として比較するなら、「31歳」の方が「18歳」(選挙権を与えられる年齢)にはるかに近いことは事実です。このかぎりにおいて、若い市長は、若い有権者を理解するのに有利であると言えないことはありません。

 ただ、今回当選した市長が、投票率が低く政治参加に消極的な世代、特に、20代前半の世代の目に、自分たちの世代の「代表」あるいは「代弁者」と映るとはかぎらないように思われます。なぜなら、若い政治家というのは、「政治参加への意欲が相対的に低い集団の内部においてあえて政治を志した」だけに、完全な同世代から見るなら、むしろ、平均からズレた存在として受け止められるはずだからです。

 また、たとえば18歳の有権者が31歳の政治家を「同世代」と見なすというのも、現実を無視した甘い期待であると私は考えています。上の世代から見れば、18歳と31歳のあいだに大した違いはなく、同じ「若者」に分類されてしまうとしても、18歳の有権者にとり、10歳以上の年齢差と、この差が原因で生まれるはずのものの見方の違いは非常に大きく感じられるでしょう。そして、年齢が下であるほど、ものの見方の——上の世代から見ればささやかな——違いに対する「こだわり」が大きくなるに違いありません。私の勝手な想像では、18歳が「同世代」と見なすことができる年齢の幅は非常に狭く、おそらく、自分を中心とする前後2歳程度——高校生として過ごした時期が重なる世代——を超えることはありません。

 若者が考える「同世代」の幅がこれほど狭いのであるなら、若い有権者の多く——サイレント・マジョリティ——は、自分の世代の「代表」や「代弁者」を代議制民主主義の内部に見出さないばかりではなく、そもそも、「代表」や「代弁者」なるものを求めてすらいないと想定するのが自然です。彼ら/彼女らの目にこの制度全体が何かよそよそしいもの、嘘くさいものと映るのは仕方がないことであり、政治参加への意欲に乏しいのもまた、無理のないことなのでしょう。

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