以前、次のような文章を書きました。以下は、これに関連する話です。
一般に「陰謀論」(conspiracry theory) と呼ばれているのは、たがいに矛盾がないように見える主張の束のことです。「陰謀論」を支持する者たちは、みずからが真であると信じる主張の束を擬似的な理論と見なします。(当然、みずからこれを「陰謀論」と呼ぶはずはありません。)
よく知られているように、現在のアメリカおよび日本の言論空間の一部で流通している陰謀論を代表するのは、一般に「ディープステート」と呼ばれる(想像上の)組織による世界支配に関するものです。この陰謀論に従うなら、世界各国の経済において支配的な位置を占める者たちをメンバーとする「ディープステート」(あるいは「闇の政府」)という不可視の組織がアメリカを初めとする各国の政府を背後から操っていることになります。
陰謀論者は、アメリカの大統領選挙から新型コロナウィルス感染症まで、世界全体に影響を与えるような目立つ出来事の多くを「ディープステートのしわざ」として説明します。(恥ずかしいので、例はいちいち挙げません。)
ただ、常識的に考えるなら荒唐無稽な説明を他から切り離してそれ自体として眺めると、そこには決定的な矛盾が認められないことがわかります。すなわち、内部の矛盾を指摘することによって陰謀論を解体すること、つまり論駁することは不可能となります。
しかし、陰謀論が他ならぬ「陰謀論」であり、荒唐無稽と考えられているのは——逆説的に響くかも知れませんが——それが、まさに、「内部の矛盾を指摘することによって解体することが不可能」な構造を具えているからなのです。以下、簡潔に説明します。
陰謀論者は、さまざまな事実を、「ディープステートが世界を支配している」という主張に合致するような仕方で解釈します。
もちろん、陰謀論者ではない私たちもまた、世界を理解するための何らかの漠然とした枠組を持っています。そして、この枠組の内部において事実の一つひとつにその都度あらかじめ意味を与え、そして、自分の生活環境を安定させています。意味を持たないむき出しの事実などという不気味なものには誰も耐えられないのです。
ただ、私たちは、大抵の場合、自分が前提とするものの見方にもとづいて適切な意味を与えることができない何か新しいことが出来すると、そのたびに、枠組を事実に合わせて——ときには大規模に、ときには小規模に——柔軟に修正しアップグレードします。「経験」や「成長」と呼ばれるのは、このようなプロセスのことです。この観点から眺めるなら、科学、特に近代科学とは、限定された領域の現象についてこのような修正とアップグレードを組織的に繰り返すことで発展、拡大し成果を挙げてきた知的活動であると言うことができます。