Home やや知的なこと 「自己肯定感」と幸福について

「自己肯定感」と幸福について

by 清水真木

 私たちは誰でも、「自己肯定感」という言葉を知っています。そして、自己肯定感が何か価値あるものであるという漠然とした共通了解を前提として、「自己肯定感を手に入れるためにはどうしたらよいか」などと問い、また、この問いに答えを与えることを熱心に試みています。

 それでは、自己肯定感とは何であるのか。しかし、「自己肯定感」という言葉によって理解するものは、人によってまちまちです。すなわち、自己肯定感なるものに認められる意義に反し、不思議なことに、「自己肯定感」の意味は曖昧なままにとどまり、私たちは、自分が自己肯定感と信じるものを表現するために、それぞれ勝手にこの5文字を使っているのです。

 もちろん、自己肯定感は、「『自分』によって『自分』が『肯定』されている『感じ』」とノミナルに定義することが可能です。しかし、「『自分』によって『自分』が『肯定』されている『感じ』」とはどのような「感じ」であるのか、残念ながら、この点に関する理解は、「自己肯定感」という言葉を使う者によって完全に異なり、それぞれの用法のあいだに意味のある接点や類似点を見出すことは困難です。

 上記のようなノミナルな定義から何かがわかるとしても、それは、せいぜい、「自分が」他人によって「肯定」されても、それだけで自己肯定感が湧いてくるわけではないらしい、という貧弱な認識にすぎないように思われます。

 ただ、私たちが「自己肯定感」という言葉によって理解するものがまちまちであり、無数の説明が日本語の言論空間に氾濫し、そのせいで「自己肯定感」の用法が無政府状態に陥っているように見えるとしても、この無政府状態からは、確実なことを2つだけ見出すことができます。

 第1に、私たちが自己肯定感に価値を認めるのは、これが幸福の前提であるかぎりにおいてである点です。つまり、自己肯定感に対し私たちが与えるそれぞれの定義には関係なく、「自分」によって「自分」が「肯定」されている「感じ」を持たぬまま幸福になることは不可能であると信じられているのです。少なくとも、自己肯定感に無上の価値を認める人々は、自己肯定感と幸福との関係をこのように理解しているはずです。

 したがって、「自己肯定感とは何であるのか」「どのようにすれば自己肯定感を獲得することができるのか」などの問いに答えることが可能となり、そして、自己肯定感を実際に獲得することが可能となるためには、自己肯定感なるものが幸福の必要条件であるという認識を手がかりとするのが適当であることになります。

 とはいえ、「自己肯定感が価値あるものと認められているのは、これが幸福の前提だからである」などと聞かされても、多くの人は、「そんなことは当たり前じゃないか」と応答するかも知れません。というのも、自己肯定感は、その欠如において強く実感され、欲求されるものだからです。そして、この点こそ、「自己肯定感」の実際の用法が教える第2の事実です。

 一方において、「自分」によって確かに「肯定」されている人々は、「自分」が「自分」によって「肯定」される「感じ」について考える必要に迫られておらず、他方において、みずからを不幸と見なす人々は、自分たちに自己肯定感が欠けていることを強く実感します。すなわち、「自分」が「自分」によって「肯定」されていないこと状態が不幸である、あるいは少なくとも不幸の大きな原因であると考えられているのです。

 自分自身の「自己肯定感」について考えたり語ったりしている人々が実際に注意を向けているのは自分の不幸であり、不幸の原因としての自己肯定感の欠如であることになります。すなわち、自己肯定感の問題とは、幸福の反対概念としての不幸の問題の一部をなす小問題であり、自己肯定感の意味を知り、自己肯定感を獲得することは、幸福の規定を確認することによって初めて可能になるのです。

関連する投稿

コメントをお願いします。