Home やや知的なこと 知識の商品化について(その2)

知識の商品化について(その2)

by 清水真木

※この文章は、「知識の商品化について(その1)」の続きです。

 大学に所属していない「大人」なら誰でもすぐにわかるように、「本当の専門家にタダで気が済むまで質問して答えてもらえる」というのは、大学の外では必ずしも当たり前ではありません。反対に、「専門家の知識は有償であり、何かを教えてもらったら、対価をその都度支払わなければならない」というのが世間の常識です。それにもかかわらず、私の知るかぎり、多くの学生は、自分に与えられた権利を大して有り難がることもなく、これを当然のように受け止め、そして、残念ながら、この権利をほとんどまったく行使しないまま大学の外に出て行ってしまいます。実にもったいないことです。

 学術的な知というものは、本質的に万人に対して開かれたものであり、商品ではありません。高等教育を担う装置としての大学の存立は、大学に由来する知が社会の共有財産であるという了解を前提とするものなのです。

 しかしながら、不思議なことに、20世紀の終わりごろから、学問の世界では「知の有償化」と呼ぶことができるような事態が進行しつつあるように見えます。学術的な知をめぐる環境の変質を雄弁に物語るのが、「被引用回数」にもとづく学術論文あるいは知識の評価です。

 最近は、学術論文が「被引用回数」なるものによって評価されるようになりました。(以前に書いたとおり、これは、アカデミックに偽装された「いいね!」です。)よく知られているように、この指標は、英語圏の特定の企業が、ごく限られた数の出版社グループが刊行する学術雑誌の売り上げを伸ばすことを目的として導入したものです。被引用回数の算出の対象となる論文も、算出の基準となる論文も、ともに、掲載されるのは、英語圏で(特定の版元から)刊行されているごくわずかな数の雑誌にすぎません。これは、学術的な知の評価にとり、決して適切なものではありません。ただ「わかりやすい」だけです。これは、以前に書いたとおりです。

 それでも、被引用回数を指標に学術論文を評価する傾向は、20世紀末以降、わが国でもとどまることなく拡大を続けています。また、被引用回数を稼ぐことができる学術雑誌の価格は、際限なく上昇を続けています。現在では、英語圏のオンラインジャーナルの場合、大学に所属していない人がそこに掲載された論文を読むためには、1本につき少なくとも数千円を支払わなければなりません1

 また、いくら価格を吊り上げられても、研究機関の方は、定期購読を中止するわけには行きません。分野によっては、研究に支障を来すことがあるからです。

  1. それでも、たとえば私のように、大学に所属する研究者なら、論文を入手するための費用は、所属する大学が負担してくれます。紙媒体で刊行され、世界のいずれかの大学図書館に所蔵されている雑誌の論文なら、大学図書館に依頼することで無償で入手することができます。大学にとっては、相当な財政的負担であるに違いありません。 []

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