※この文章は、「『民衆の声』をめぐる神話について(前篇)」の続きです。
実際、知性や良識を具えた民衆なるものがフィクションにすぎないことを見透かしたように、外国では、民衆を合理的に説得するのではなく、マスとして公然と「操作」することをためらわない政治家のプロパガンダが目立つようになりました。このようなプロパガンダの最近の有名な事例は、2016年のアメリカの大統領選挙と、2021年のフィリピンの大統領選挙でしょう。いずれの場合も、選挙は事実上の人気投票となり、選挙の結果は、社会のあるべき形に対する民衆の意見の反映であるというよりも、むしろ、エリート支配に対する民衆の単なる私的憤慨の反映であったように思われます。
わが国においても、それ自体としては党派色のない、しかし、事実の裏づけを欠いた「ワクチンを接種すべきではない」「小麦は健康によくない」などの思い込み(陰謀論)、あるいは、自分の利害と憤慨と自己顕示欲のみを内容とする叫びとともに、与党を中心とする有力な政治家に対する悪意ある誹謗中傷がSNSに氾濫しています。特に、最近では、共産党を中心とする左派政党の関係者あるいはシンパによって投稿されたと思われる、見る者をミスリードすることを意図したメッセージが目立ちます。
昨日、私は、次の記事を見つけました。この記事に付けられたコメントは、読むに耐えないものばかりです。これが国民の知的レベルを反映であるなら、日本に未来はないでしょう。また、これが「神の声」であるなら、それは、古代ギリシアの人々が神殿において受け取っていた神託よりも支離滅裂であり、決して文字どおりの意味に理解してはならないに違いありません。
実際、中国やロシアなどの権威主義的な国家では、政府がこの「民衆の声は神の声である」という神話を公然と否定し、プロパガンダを用いて「民衆の声」を恣意的に作り出すことをためらいません。わが国でもまた、SNSを見るかぎり、「民衆の声は神の声である」は、もはや単なる「嘘」にすぎないように見えます。
ただ、幸いなことに、今年の夏に行われたばかりの参議院議員通常選挙の結果が示すように、(サイレント・)マジョリティとしての民衆や庶民の投票行動は現実的であり、現在はまだ、SNSが発する轟音とは必ずしも一致しません。「神の声」として耳を傾けるに値する、あるいは、少なくとも、耳を傾けるふりをするに値する「民衆の声」は、もはや、明確な声として聴き取ることができるようなものではないかも知れません。それでも、陰謀論やプロパガンダの餌食にならない程度の知性や良識がわが国の民衆のあいだに少しでも遺されているのであるなら、この「声を持たない民衆」の声は、全力で守られるべきものであるように私には思われます。