Home 世間話 腕時計について

腕時計について

by 清水真木

 現在、私が普段の生活において使っている携帯用の時計は3つです。すなわち、主となる腕時計(自動巻き)、この腕時計を分解修理に出しているあいだに使う腕時計(クオーツ)、そして、試験監督のときに時間を計るための鉄道時計です。

 私は、矯正された元左利き(クロスドミナンス)です。これは、以前に書いたとおりです。

 ただ、基本的に左利きであるにもかかわらず、腕時計は左手につけています。そのせいなのか、腕時計がよく壊れます。さすがに最近は、腕時計を3年に1回は分解修理しており、そのおかげで、完全に動かなくなるほどひどい状態になることはありませんが、以前は、年に1回は風防が割れたりゼンマイが切れたりしていました。今の腕時計を使うようになってから20年近くになります。これは、私にとっては最長記録です。(念のために言うと、中学校に入学してから現在まで、私が主に使ってきた腕時計はすべて、「手巻き」か「自動巻き」です。)

 現在は、腕時計を着用していなくても、時刻の確認に不自由することはありません。また、腕時計が示す時刻は、電波時計ほどには正確ではありません。それでも、私は、外出するときには原則として腕時計を着けることにしています。これが私にとっては唯一のアクセサリーだからです。時刻を知る道具としての独占的な地位を失ってもなお、数十万円、数百万円の腕時計が製造、販売されているのは、腕時計にアクセサリーだからであると考えるのが自然です。

 とはいえ、私は、複数の腕時計をTPOに応じて使い分けることができるほど器用でも勤勉でもなく、服装に関係なく、外出するときには基本的にいつも同じ腕時計を使っています。(ただ、喪服を身につけるときだけは腕時計を変えます。主に使っている腕時計は、針と数字が金色であり、葬儀や法事にはふさわしくないからです。)

 思い返して見れば、私の子どものころ、家族は全員、それなりに高級な腕時計を身につけていましたが、やはり、同じものを壊れて修理ができなくなるまで使い続け、基本的に同じメーカーの同等のものに買い換えていました1 。私の今の腕時計は、大学に入学してから3個目に当たりますが、すべて同じメーカーのものです。この意味において、私は、アクセサリーとしての腕時計をまだ十分には使いこなすことができていないのかも知れません。

  1. 私の祖父が使っていた腕時計は、私が記憶しているかぎりずっと、ブローバアキュトロンでした。当時は、家族の中で電池式の時計を使っていたのが祖父だけだったため、今でもよく憶えています。ブローバアキュトロンは、電池式の「音叉時計」です。これは、1960年代の発売のころには最先端のモデルだったはずです。しかし、その後まもなく、「クオーツ」におされて姿を消し、1980年代の前半には、修理すらできなくなっていました。中学生のころ、祖父の家に行くと、食堂のテーブルの上に、腕時計が文字盤を下にして置かれているのをよく目にしました。腕時計を裏返して置く理由を祖父に尋ねると、裏面のネジが緩みやすいから、ネジが落ちてしまわないよう、裏返しにして置いてある、という答えが戻ってきました。とはいえ、祖父がブローバの腕時計を不便を忍んで使い続けていた理由は、私にはわかりません。 []

関連する投稿

コメントをお願いします。