※この文章は、「『承認欲求』から自由になるために最初にすべきことについて(前篇)」および「『承認欲求』から自由になるために最初にすべきことについて(中篇)」の続きです。
(2)しかし、これ以上に深刻な結果を惹き起こすのは、次の点です。すなわち、この偽りの「自己肯定感」を維持するためには、私が自己評価と主体性を手放し、他人から肯定的に評価されるはずのものを見つくろうことから決して解放されないばかりではなく、そもそも、この「自己肯定感とされるもの」は、つねに新たに何かを「する」ことによって更新されなければならないのです。他人の心という暗闇に「餌」を途切れることなく放り込み続けないかぎり、肯定的な評価は霧消してしまうでしょう。
そもそも、誰が考えてもただちにわかるように、私が何かを「する」ことによって他人から肯定的に評価されるとしても、この評価は、私が何かに働きかけ、何かを成し遂げたことを手がかりとして、「何かを成し遂げたかぎりにおける私」に与えられたものであり、私の存在全体に対して与えられたものではありません。私が他人に承認を求めているのは、私が「ある」こと、私で「ある」ことに対する承認を求めているのであり、「する」ことによって与えられる「条件つきの肯定」は、私が求めているものではありません。
何かを「する」ことにより他人から肯定的な評価を獲得し、これを梃子にして自己評価を獲得するという戦略は、私の心を蝕むばかりです。この道は、自己肯定にも心の安定にも通じてはいないのです。
偽りの「自己肯定感」へと導く袋小路から抜け出し、他人からの承認に対する泥沼のような執着、「いったい何をすれば承認されるのか」という答えのない問いから自由になるために私たちが最初になすべきことは、言葉の本当の意味における「自己肯定感」を手に入れることです。つまり、自分自身の今のあり方が、私がまさしく「今」「ここに」「このように」存在しているという事実が、自分自身によって、つねに丸ごと肯定され承認されていると感じられるようになることでなければなりません。この点は、以前に書いたとおりです。
もちろん、本来の自己肯定感というのは、決意しさえすれば一瞬で獲得することができるようなものではありません。これは、日常生活において、おりにふれて自分自身に繰り返し言い聞かせることにより、思考の習慣として少しずつ身について行くものなのです。