Home やや知的なこと 気分が「普通」であることの意味と価値について(前篇)

気分が「普通」であることの意味と価値について(前篇)

by 清水真木

 しばらく前、よく知らない人々との会合の席上、話がかみ合わず、その場で決められなければならないはずのことが私の期待していたような形では決まらなかったことがありました。会合のあと何時間か、このことが頭から離れず、仕事が手につきませんでした。

 会合や会議というのは、私がもっとも苦手とするイベントの1つであり、予期していたとおりに話が進まないと、気が動転してしまうことが少なくありません。

 ただ、周囲の人々が私をどのように見ているのかわかりませんが、私は、少なくとも自分のつもりとしては、心の動きを表に出さず、いつも同じ決まった「普通の出力」で生活し、他人に接することをこころがけています。

 世の中には、電話で声を聞いただけで、心の中の状態がわかってしまうような残念な人が散見します。もちろん、「気分のムラ」が外に伝わるのはみっともないことであり、また、周囲の人間にとっては迷惑でもあると私は考えています。

 私は、目の前にいる相手に腹を立てても、相手を怒鳴ったり殴ったり、何かを蹴飛ばしたりするようなことは、少なくともこれまでのところは一度もしたことがありません。(不快感は言葉で伝えます。不快な気持ちを我慢して飲み込むことなく、相手に言葉で率直に伝えたり、態度で冷静に示したりすることができるようになったのは、年齢を重ねたおかげであると思っています。)

 当然、目の前に誰かがいるときに私の心がたまたま何らかの理由で波立っているとしても、その誰かが私の動揺の原因ではないのなら、私は、心の動きを相手に見せないように努めます。これは当然の礼儀でしょう。

 現在の日本では、生活のある領域では、労働人口の相当部分が言葉の広い意味における「感情労働」に従事し、いわゆる「アンガー・マネジメント」に代表される気分を統制する技術に大きな価値が認められるようになっています。(感情労働に関する古典的な著作であるホウクシルド1 の『管理される心』が公刊されたのは1983年のことです。)(後篇に続く)

  1. 日本では「ホックシールド」と表記されるのが普通ですが、英語版のウィキペディアに記載された発音記号を信頼するなら、もとの発音にもっとも近い表記は「ホウクシルド」となります。 []

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