去年、ある大学の入学試験で、私の祖父の著作の一部が問題文として使用されたようです。その後、受験関係のある出版社から、この問題文をデータベースに収録したい旨の連絡を受けました。
入試問題を再利用するときには、著作権継承者が許諾しないかぎり、出版社は作品を使用することができません。もちろん、少なくとも私は、ほとんどの場合において使用を許諾します。また、大半の著作権継承者は、いわゆる「めくら判」で許諾しているはずです。
ただ、私自身は、上記の申請を断りました。
これまで、私は、平均すると100回に1回くらいは申請を斥けています。理由はまちまちですが、このときは、「出典が不明」というのがその理由でした。この理由で作品の使用を許諾しなかったのは、私が著作権継承者になってから初めてのことです。
少し具体的に言うと、実際の入試での出題の際には、当然、問題の文章の末尾に出典が明記されていました。そして、出版社の方は、この出典を手がかりに、著作権継承者である私に連絡してきました。
ところが、出典を眺めてすぐにわかったことがあります。出典として明記されている作品の表題が祖父のものではないのです。つまり、もとの入試問題に印刷されていた出典が誤っているのです。この場合、次の2つの可能性があります。すなわち、問題文として使用されたのが、私の祖父の著作物ではないか、あるいは、私の祖父の別の著作物であるかのいずれかである可能性があります。
しかし、誰が考えてもすぐにわかるように、この点を確認するとは、祖父の膨大な著作物の中に、問題文として使われた短い文章が含まれているかどうかを確認することを意味します。そして、このような作業が可能となるためには、私は、祖父の著作物の内容を記憶しており、問題文に現れるキーワードを手がかりとして出典について見当をつけることができなければなりません。
ただ、残念ながら、私には——代表的な著作については見当がつくとしても——このような能力はありません。また、著作物を片端から調べる時間と体力の余裕も、そのときの私にはありませんでした。そこで、私は、出版社に連絡し、(出版社の方で出典を調べるつもりはないようだったため、)「出典表示が間違っているからデータベースへの収録は断る」と伝えました。
これまで、誤植を除くと、出典の誤りに出会ったことは一度もなく、私は、完全に油断していました。しかし、著作権継承者は、著作権継承者としての責任をはたすためには、たとえ出典が正しいことを確認するためだけにでも、自分が著作権を継承した作品について、その出典を言い当てられるようになっていなければならないのです。著作権継承者というのは、つらい立場であることを実感しています。