Home 世間話 書いた内容を憶えていない文章がもっともよく読まれていることについて(後篇)

書いた内容を憶えていない文章がもっともよく読まれていることについて(後篇)

by 清水真木

 もちろん、私は、この事実に釈然としないものを覚えます。というのも、これらの文章はいずれも、このブログでは孤立した存在だからであり、このブログにおいて一大勢力となっている「表現の自由」「高等教育」「哲学」「知的生産」などのテーマに関連する文章がここには1つも含まれていないからです。

 私は、このブログを開設して更新を始める前に4回、それぞれごく短いあいだブログに文章を書いていたことがあります。これらのブログの更新をやめた理由はまちまちですが、これらすべてに共通していたのは、私の関心の中心から遠い、どちらかと言うと「実用的」な文章にアクセスが偏り、私が読んでもらいたいとひそかに願っている文章が誰にも読まれなかった点です。

 また、現実によく読まれる(上に挙げたような)文章は、「仲間」となる文章をこのブログの中に持ちません。したがって、これらの文章にアクセスする人は、このブログに属する(「星雲」の中心にある)他の文章には目もくれずに去って行くのが普通です。この意味において、このブログの読者は、1回だけアクセスし、特定の1ページだけ読んで去って行く人と、それ以外の人の2種類に大きく区分されると言うことができます。

 ブログは、どのページにも外部からの直接のアクセスを許容します。当然、どの文章を書くときにも、それぞれの時点ですでに公開された同じブログの別の文章に読者があらかじめ目を通していることを前提としないのが「お作法」であると一般に考えられており、私もまた、この「お作法」はつねに尊重しています。読まれることを期待せずに書いた文章、オリジナリティに乏しい文章、書いた事実すら思い出すことができないような文章にアクセスが偏ることは、私としては残念ではありますが、これは、ブログの特性上、仕方のないことであるには違いありません。

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