私は、和泉キャンパスに行くときには、大抵の場合、井の頭線の高井戸駅か浜田山駅で乗車し、明大前駅で下車します。電車の中にいる時間は長くても約10分、本を読んだり居眠りしたりするだけの余裕はありません1 。そのため、電車に乗ると、外の景色やドアの上にある広告のディスプレイに映し出される広告をぼんやりと眺めながら、とりとめもないことを考えているのが普通です。
ところで、何年か前、大学に行くために井の頭線に乗り、いつものようにドアの上のディスプレイを眺めていたとき、ある広告動画が目にとまりました。それは、私の記憶に間違いがなければ、「ウマ娘 プリティーダービー」というゲームとアニメの広告でした。
私は、広告を見るまで、「ウマ娘 プリティーダービー」なるゲームやアニメがあることすら知りませんでした。今でも、「ウマ娘 プリティーダービー」について私が持っている情報はほぼ何もありません。
それでも、ディスプレイに映し出された「ウマ娘 プリティーダービー」の広告を見たとき、私の心には、次のような予想が即座に心に浮かびました。「女の子を競走馬に見立てて走らせるというアイディアは、フェミニストにとっては『女性差別』と『人権侵害』以外の何ものでもないんじゃないか、『ウマ娘 プリティーダービー』の本来のユーザーとはまったく違うタイプの人々からのクレームが制作会社や広告代理店や鉄道事業者に殺到しているんじゃないか。」
フェミニストたちが「ウマ娘 プリティーダービー」を実際に糾弾し、制作会社をSNS上で叩いたかどうか、私は直接には確認していません2 。また、以前に述べたように、誰かに不快感を与える広告を、誰かに不快感を与えるというだけの理由によって制限することには慎重であるべきであると私は考えています。(下に続く)
ただ、人生経験をそれなりに積んだおかげなのでしょう、社会において異なる価値観のあいだの「摩擦」や「衝突」を惹き起こす原因となる可能性のある事柄を直観的に判別し、同時に、この事柄に対するステレオタイプな反応を予測することが――完全ではないとしても――それなりに正確にできるようになりました。問題の広告がフェミニストの目にとまるなら、それは、攻撃の対象になることを避けられないでしょう。また、「女性差別」や「人権侵害」の名のもとにフェミニストによって叩かれることが確実であるにもかかわらず、女の子を競走馬に見立てて走らせるというアイディアがゲームやアニメの形を与えられるのは、(外野からのあらゆる批判を相殺するのに十分な利益が期待できるからばかりではなく、)相応の「大義」があるからであることもわかります。
- 私は、よほど緊急の用事がないかぎり、他人の前でスマートフォンをいじらないことにしています。差し迫った事情など何もないにもかかわらずスマホを人前で1分以上いじり続けることは、自分が頭の悪い人間であることを天下に向かって自己申告するのと同じであり、恥ずかしいことであるとかたく信じています。具体的なデータを持っているわけではありませんが、他人の前でスマホといじる時間と、学力や所得のあいだには負の相関関係が認められるはずです。 [↩]
- 「ウマ娘+人権侵害」というキーワードで検索すると、それなりの数のページがヒットします。 [↩]