動物園が動物の誕生日を祝う話がニュースで取り上げられているのを見ることがあります。誕生日には、何か特別な餌がプレゼントとして与えられるのでしょう、大抵の場合、動物園で飼育されている動物たちが「ケーキ」と称するものを食べている映像が私たちの目の前を流れて行きます。
私は、この光景を目にするたびに、不思議な気持ちになります。というよりも、軽い居心地の悪さに襲われます。というのも、私が動物だったら、「誕生日」の「プレゼント」をもらって嬉しいだろうか、とみずからに尋ねてしまうからです。換言するなら、動物の「誕生日」に「ケーキ」などと称して特別な餌を与え、これを見物客の前で食べさせるというのは、人間の側の自己満足に動物を無理やり奉仕させているだけであり、この意味において動物虐待ではないかと疑ってしまうのです。
私は、動物園という施設、および、動物を人工的な環境のもとで飼育することには一定の意義があると信じています。これには「人間の勝手な都合」とは断定することができない役割があるからです。したがって、動物園において動物を飼育することがそれ自体として動物虐待であるとは考えません。
しかし、動物の誕生日を「ケーキ」で祝うことには何の意味もないように思われます。
そもそも、動物が「1年間」として受け止める期間は、人間の1年間とは異なります。いや、それ以前に、動物には「周年」という観念がなく、したがって、自分の誕生日に対し「1年間」という期間の内部における特定の位置を与えることができないはずなのです。まして、「誕生日を祝う」など、人類にとってすら必ずしも普遍的とは言えない特殊な風習であり、動物の心性とは何の関係もない出来事であると考えねばなりません。「ケーキ」を差し出された動物の心に何かが浮かぶとしても、それは、「餌が普段とは少し違うな」という程度の漠然とした感じだけであり、しかも、この感じすら、ただちに忘却の淵に沈んでゆき、翌年どころか、翌日には完全に消え去っているでしょう。
ことによると、「誕生日」を迎えた動物に「ケーキ」を与えるというのは、子ども向けのイベントであるのかも知れません。しかし、動物園が子どもに教えるべきなのは、動物を無理に「擬人化」して「おもちゃ」にすることではなく、反対に、人間とは根本的に異質な存在としての動物というものが自然界の重要な要素であることであるはずです。
動物園において動物が「誕生日」に「ケーキ」を与えられているのを見物した子どもは、「クマさんも誕生日を楽しみにしている」などと錯覚し、この錯覚から逃れることができないまま、誤った仕方で自然と向き合うことになる危険があります。このかぎりにおいて、動物園が動物の誕生日を祝うことは、子どもにとっても社会にとっても有害であると私は考えています。