※この文章は、「人生において本当に大切なことを識別する手がかりの1つについて(前篇)」および「人生において本当に大切なことを識別する手がかりの1つについて(中篇)」の続きです。
私たちが抱える「しなければならないこと」には、可能なかぎり効率的に除去されるべき障害と、それ自体が目的となるような行為の2つに分かたれます。換言すれば、「しなければならないこと」には、「面白くない雑用」と「好きなこと」があるのです。
そして、「しなければならないこと」のそれぞれが2つのうちのいずれであるかは、上記の問い、つまり、「私がこれから『しなければならない』ことについて、これを遂行するのに費やされる時間は少ないほど好ましいかどうか」をみずからに問うことによって明らかになるでしょう。
本当の意味においてなすべきこと、つまり、それ自体として目的であるようなことのために最大限の時間を使い、雑用には可能なかぎり時間を使わずに済ませる、これが時間の正しい使い方であり、「しなければならないこと」に対する正しい態度であることになります。
以上のような見方をすることにより、わかることが1つあります。すなわち、私たちが「よく生きる」ためには、おびただしい「しなければならないこと」のあいだで相対的な「優先順位」を定めるのではなく、何よりもまず、端的に「する」ことと「しない」ことをその都度区別すべきなのです。
私たちの目の前には、「しないよりもした方がよいこと」「優先的にすべきかどうか簡単には決められないこと」からなる薄暗い広大な領域が横たわっています。こここでは、何もかもが「しなければならない」ことに見えてきます。そして、その結果、私たちは、この領域に足を踏み入れた途端に進むべき方向を見失ってしまいます。
このような状況のもとで、優先順位に関する問いのある部分は、時間をめぐる問いに置き換えることが可能です。
ジャーナリストのローラ・ヴァンダーカムは、2016年のTEDのスピーチにおいて、””I don’t have time,” often means “It’s not a priority.””(「『私には時間がない』は『それは優先事項ではない』を意味することが少なくありません」)と語っています。(4分を少し過ぎあたりです。)
「それにかける時間は少なければ少ないほどよいか」「それは時間をかけるに値することなのか」という問い、つまり、費やされる時間をめぐる問いは、「しなければならないこと」一つひとつのそれ自体としての価値——相対的な優先順位ではなく——私にとっての絶対的な価値を明らかにしてくれるものであり、このかぎりにおいて、目の前に横たわる「しなければならないこと」に臨む態度に関し1つのヒントを与えてくれるものなのです。