私は、報道番組やワイドショーをテレビをわざわざ点けて観ることはありません。それでも、このような番組に常連のコメンテーターとして出演した評論家の発言、特に政治的な問題に関する発言をネットニュースで見かけることはあります。
ごく素朴に考えるなら、「評論家」(や「ジャーナリスト」)の肩書きでテレビ番組にコメンテーターとして出演する人々というのは、自分が専門的に取り扱う政治的、社会的な諸問題について中立的な立場から公正な態度で発言する存在であるはずであり、平均的な視聴者は、このようなふるまいを彼ら/彼女らに期待しているはずです。そして、これもまたごく素朴に考えるなら、彼ら/彼女らは、中立的であり公正であるからこそ、公共の財産である電波を用いて不特定多数の視聴者に語りかける機会を与えられていることになります。
もちろん、政治に関し、このような意味における「本物の専門家」がテレビにまったく映らないわけではありませんが、それはむしろ例外です。
たしかに、評論家たち(あるいはジャーナリストたち)はいずれも、テレビ番組において、重要な政治的トピックについて固有の立場から専門的な知識にもとづいて意見を開陳しているように見えます。「コメンテーター」としてテレビに出演するのですから、これは当然のことでしょう。ただ、私の経験と知識の範囲では、テレビ(あるいはネットで配信される報道番組)に週に何回も出演し、政治に関して積極的に発言する評論家の相当部分について、その発言は、評論家自身の見解というよりも、むしろ、政府または特定の政治的な勢力の立場を代弁するものとして受け止められるのが適当であるように思われます。
ここで私が想定するのは、狭い意味における「代弁」です。すなわち、テレビ番組に出演する評論家たちの多くが政府または特定の政治的な勢力を擁護するのは、大抵の場合、これらの政策や主張がみずからの見解とたまたま一致しているからではありません。彼ら/彼女らは、世間に向ってその代弁者となることを最初から意図して(しかし、代弁者であることを明かさぬまま)発言しているのです。
したがって、このような評論家たちの発言は、コメントや批評でななく、本質的に「ステマ」「扇動」、または政府や与野党の非公式の「アドバルーン発言」として受け止められるべきであると私は考えています。そして、私は、政府または特定の政治的な勢力の意向を受けてテレビ番組、ネットで配信される報道番組、ラジオ、雑誌、新聞等で政治的な問題について発言する人々を勝手に「指人形」と名づけてきました。
また——これも私の経験と知識の範囲では——左右どちらの政治的な勢力も少なからぬ数の「指人形」評論家を抱えていますが、メディアへの露出に関するかぎり、政府あるいは与党の見解を代弁する「指人形」が断然優勢です。さらに、政府や与党の主張を代弁する評論家は、「指人形」であることを自分からは明かさないのが普通です。「あえて隠すつもりはないが、政治リテラシーの乏しい視聴者にはわからないままにして勘違いさせておけばよい」ということなのかも知れません。
もちろん、元官僚、元国会議員、元議員秘書などについては、彼ら/彼女らが特定の政治的な勢力または政治家の「指人形」として発言している可能性を想定することは困難ではありません。また、政治の世界における彼ら/彼女らの経歴を眺めることにより、その背景、つまり、誰が「指」なのかは容易に推測することができます。
しかし、たとえば企業の経営者や、一応アカデミックな世界に身を置く「指人形」の場合、彼ら/彼女らがことさらに中立を装うせいで、テレビ番組で披露しているのが自身の政治的見解であるのか、それとも——明示的な依頼による、あるいは、暗黙の忖度にもとづく——特定の政治家あるいは政治的勢力の意向に沿った発言であるのか、必ずしも明瞭ではありません。また、普通の視聴者には、それぞれの「指人形」がどの政治家と近い関係にあるのか——たとえば、誰と頻繁に会食し、誰の海外視察に同行したのか——など、「指人形」自身が申告しないかぎり、調べる手立てすらないのが普通です。(全国紙に掲載される首相の動静に氏名が掲載されるような人々は希有な例外です。)
「指人形」は、政府、与党、野党、あるいはその他の政治的勢力の見解を非公式に「漏れ伝えさせ」て世間の反応を見ること、また、可能な範囲で大衆を誘導することを使命とします。「指人形」は、大衆とプロの政治家をつなぐ政治「通」であり、この点において、「指人形」には十分な価値があります。
また、視聴者が十分な政治リテラシーを具えているなら、報道番組やワイドショーが「指人形」だらけになるとしても、何ら問題はありません。なぜなら、テレビに出演して政治的な問題について発言する人々の相当部分が「指人形」ではないかと疑い、「指人形」の発言を「指」との関係で解釈する能力は、政治リテラシーの本質的な部分をなすものだからです。
しかし、残念ながら、現実には、多くの視聴者は、テレビ番組に出演する評論家が「指人形」であることに気づかず、その見解を(中立を装う)その人物の専門家としての見解であると勘違いしているように私には見えます。放送局は、政治的な問題について評論家に発言させるとき、その評論家の背景ーーつまり、誰が「指」であるのか——を最初に紹介し、発言の前提を明瞭にすることにより、発言の内容を相対化するよう視聴者に促してもよいのではないか、などと私はひそかに考えています。