何年か前から、「スマートホーム」(smart home)という言葉を耳にするこ機会が増えました。「スマートホーム」とは、家電や設備がインターネットに接続された個人住宅を意味するようです。
スマホやパソコンによる機器の遠隔操作が可能であったり、ビッグデータと人工知能を用いて屋内の環境を自動的に調整したりすることにより、生活を快適なものにしてくれることがスマートホームの大きな特徴であると一般に考えられています。
現在の日本において、スマートホームに分類されるような住宅が住宅全体のどのくらいの割合を占めているのか、私は知りません。生活環境を形作るハードウェアをスマートなものにするためには、それなりのコストが必要となるはずですから、このようなタイプの住宅の拡大にはおのずから限界があるように思われます。
ところで、私の自宅はまったくスマート化されていません。何もかも手を動かして操作し調整しなければならない「ダムホーム」(dumb home) です。
私の自宅は比較的新しく、10年前に建て替えたものです。しかし、建て替えにあたり、「駆体にかけるコストは一切ケチらないが、その分、あとで交換可能なもの、あるいは、やがて交換しなければならなくなるものにはできるかぎりカネをかけない」という方針で臨んだせいで、ただちにスマート化できるものが何もありません。(片流れの屋根であるにもかかわらず、太陽光発電すら使っていません。)屋内には、ネットにつながっている家電の類は何もありません。リモコンで操作可能なものは、テレビとエアコンだけです。
私は、自宅でながい時間を過ごす生活を送っています。私にとっては、自宅にいるときに身の周りにあるものが、家具でも家電でもその他の設備でも、物理的な身体の延長にあると感じられることが居心地のよさの前提となっています。居心地のよさとは、自分の身体の状態に耳を傾け、いわば本能的に環境に適応する手段を自在に使えることであり、この意味における居心地のよさを実現し維持するためには、自宅内の物理的な環境は、基本的にすべて手動で調整できることが望ましいと私は考えています。したがって、照明器具が明るさを勝手に判断して点灯したり、自宅の玄関の鍵を物理的な手段で開けることができないような環境は、私にとっては大きなストレスの原因になります。
住宅が本当の意味において「スマート」であるとは、自分の居心地のよさを最先端の技術に委ねることではなく、むしろ、自分の身体に十分に注意を向けること、そして、自分の身体感覚に環境を——ネットや人工知能を介することなく——直に従属させることを意味するはずです。暗いと感じられたら、「手を動かして」照明を点ける、寒くなったら、「手を動かして」エアコンをつけることが、エアコンや照明に注意を向けることなく自在にできる環境、私には、この「ダム」(dumb) に見える環境こそ本当の意味において「スマート」(smart) であるように思われるのです。