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カテゴリーごとの投稿
- カテゴリー: やや知的なこと
- 「学際性」の逆説について(その1)
- 作者の年齢と読者の年齢について
- シンギュラリティの起こり方(後篇)
- シンギュラリティの起こり方(前篇)
- いわゆる「パレートの法則」の通俗的な理解とその適用について
- ブロゴスフィアとは何だったのか(後篇、完)
- ブロゴスフィアとは何だったのか(中篇)
- ブロゴスフィアとは何だったのか(前篇)
- 哲学のテクストが「わかる」とは(その2)
- 哲学のテクストが「わかる」とは(その1)
- 図書館内の防犯カメラの設置には慎重であるべきことについて(後篇)
- 図書館内の防犯カメラの設置には慎重であるべきことについて(前篇)
- 誰かに対してしゃべってみることの効用について
- 居心地のよい場所を見つけることの不可能について(その2)
- 居心地のよい場所を見つけることの不可能について(その1)
- 気分が「普通」であることの意味と価値について(後篇)
- 気分が「普通」であることの意味と価値について(前篇)
- 「表現の自由」について、あるいは、不快なものに向き合う義務について(後篇)
- 「表現の自由」について、あるいは、不快なものに向き合う義務について(前篇)
- 総理大臣の靖国神社参拝をめぐる平凡な所感
- ふたたび「表現の自由」について(その3)
- ふたたび「表現の自由」について(その2)
- ふたたび「表現の自由」について(その1)
- AIの未来の語り方をめぐる疑問(後篇)
- AIの未来の語り方をめぐる疑問(前篇)
- 問題解決を妨げるものとしての共感について(後篇、完)
- 問題解決を妨げるものとしての共感について(中篇)
- 問題解決を妨げるものとしての共感について(前篇)
- 趣味の価値について(後篇)
- 趣味の価値について(前篇)
- インテリアに成り下がった書物について
- 「承認欲求」から自由になるために最初にすべきことについて(後篇)
- 「承認欲求」から自由になるために最初にすべきことについて(中篇)
- 「承認欲求」から自由になるために最初にすべきことについて(前篇)
- 実体験至上主義について
- 文字と書物の優位について(後篇)
- 文字と書物の優位について(前篇)
- illiteracyからaliteracyへ(後篇)
- illiteracyからaliteracyへ(前篇)
- 月曜日の憂鬱を解消するもっとも簡単な方法について
- 動詞「存在する」について、あるいは、哲学を学ぶことの効用について
- 浜松市のアクトタワーが作り出す風景について
- 「進歩的」な常識にあからさまに異議申し立てすると、上から目線で「コロナで心の余裕を失ったかわいそうな人たち」に否応なく分類され、対話の相手ではなく、同情や治療や懲罰の対象にされてしまう(危険がある)残念な社会について(その3)
- 「進歩的」な常識にあからさまに異議申し立てすると、上から目線で「コロナで心の余裕を失ったかわいそうな人たち」に否応なく分類され、対話の相手ではなく、同情や治療や懲罰の対象にされてしまう(危険がある)残念な社会について(その2)
- 「進歩的」な常識にあからさまに異議申し立てすると、上から目線で「コロナで心の余裕を失ったかわいそうな人たち」に否応なく分類され、対話の相手ではなく、同情や治療や懲罰の対象にされてしまう(危険がある)残念な社会について(その1)
- 「お花畑正義感の人たち」について、あるいは、多様性の意味について(後篇)
- 「お花畑正義感の人たち」について、あるいは、多様性の意味について(前篇)
- 「民衆の声」をめぐる神話について(後篇)
- 「民衆の声」をめぐる神話について(前篇)
- 知識の商品化について(その3)
- 知識の商品化について(その2)
- 知識の商品化について(その1)
- 自覚なき愛について(その2)
- 自覚なき愛について(その1)
- 知における「シャドーボクシング」の行き着くところついて
- 信じたいものだけを信じる人々について
- 共感(empathy) について
- 友情と恋愛の形式的な差異について
- 「私」が誰かを「友人」と呼ぶことが可能であるためには、「三項関係」が成立していなければならないことについて
- 田舎者の逆襲、あるいは、「同性婚反対」と「反ワクチン」について(後篇)
- 田舎者の逆襲、あるいは、「同性婚反対」と「反ワクチン」について(前篇)
- 廃墟をオモチャにすることについて
- 音声入力が得意な人と苦手な人の違いについて(その3)
- 音声入力が得意な人と苦手な人の違いについて(その2)
- 音声入力が得意な人と苦手な人の違いについて(その1)
- 動物園が動物の「誕生日」を祝うことの危険について
- 観光地の価値について(後篇)
- 観光地の価値について(前篇)
- 「経験から何かを学ぶことができると思い込んでいるのはバカである」という意見について
- 「自己肯定感」と幸福について
- 陰謀論とアドホックな仮説(その2)
- 陰謀論とアドホックな仮説(その1)
- 「愛読書」を持たないことについて
- 歴史教科書における沖縄戦の記述について(後篇)
- 歴史教科書における沖縄戦の記述について(前篇)
- 「本は決して裏切らない」という文の意味について(後篇)
- 「本は決して裏切らない」という文の意味について(前篇)
- 「筋肉は裏切らない」という文の意味について
- 他人に対する失望について
- 占いと発達障害について(その2)
- 占いと発達障害について(その1)
- 歴史の書き換えについて(その2)
- 歴史の書き換えについて(その1)
- 他人に寄り添うふりをしないことについて(後篇)
- 他人に寄り添うふりをしないことについて(前篇)
- なぜ日本には「必読書ランキング」がないのか(その2)
- なぜ日本には「必読書ランキング」がないのか(その1)
- ポイントカードへの警戒
- 「ロシアを悪者にすることは簡単」という意見について(後篇)
- 「ロシアを悪者にすることは簡単」という意見について(前篇)
- 善悪を損得に還元する習慣に抗して(その2)
- 善悪を損得に還元する習慣に抗して(その1)
- 黙読を支える音読について
- ウクライナの大統領がアメリカ議会での演説において真珠湾攻撃に言及したことについて(後篇)
- ウクライナの大統領がアメリカ議会での演説において真珠湾攻撃に言及したことについて(前篇)
- イヤホンとヘッドホンについて
- 「多読」「速読」という隠語
- 私の顔色をうかがう話し相手はなぜ鬱陶しいのか(後篇)
- 私の顔色をうかがう話し相手はなぜ鬱陶しいのか(前篇)
- 他人の不幸について(全7回の7、完)
- 他人の不幸について(全7回の6)
- 他人の不幸について(全7回の5)
- 他人の不幸について(全7回の4)
- 他人の不幸について(全7回の3)
- 他人の不幸について(全7回の2)
- 他人の不幸について(全7回の1)
- 「体験」や「気持ち」を伝えることについて
- AIにはものを作る能力があるか(その2)
- AIにはものを作る能力があるか(その1)
- ミニマリズム(への道)としての自己への還帰について(後篇)
- ミニマリズム(への道)としての自己への還帰について(前篇)
- ミニマリズムの始め方(後篇)
- ミニマリズムの始め方(前篇)
- 怠惰の徳について
- 読書の「沼」について
- 純粋押印論(その2)
- 純粋押印論(前篇)
- 「著作権継承者」という存在について(後篇、完)
- 「著作権継承者」という存在について(中篇)
- 「著作権継承者」という存在について(前篇)
- 「うち」と「よそ」について(後篇)
- 「うち」と「よそ」について(前篇)
- いわゆる「学問の自由」と哲学について
- 楷書体について(その3)
- 楷書体について(その2)
- 楷書体について(その1)
- 無形の〈貸し〉と〈借り〉について(後篇)
- 無形の〈貸し〉と〈借り〉について(前篇)
- 「すべての人間は死すべきものである」(omnes homines mortales sunt) という判断について(後篇)
- 「すべての人間は死すべきものである」(omnes homines mortales sunt) という判断について(前篇)
- 記念日の増殖について
- 注意力の限界について
- 預言者的な身振りについて
- 落ち着いて疑うことについて
- 「自分が正気であることを確認する方法」について
- 誤読する権利について
- 塵と埃について
- 自分を赦すことについて(後篇)
- 自分を赦すことについて(前篇)
- 集団の内と外を距てる壁について
- 哲学と「説明」について
- 「専門バカ」の奈落について(その3)
- 「専門バカ」の奈落について(その2)
- 「専門バカ」の奈落について(その1)
- いわゆる「限界ネトウヨ」とその総括について
- 年間の購入金額にもとづく客の選別について
- アイディアを「寝かせる」ことについて、あるいは「ライフワーク」について
- 人生において本当に大切なことを識別する手がかりの1つについて(後篇)
- 人生において本当に大切なことを識別する手がかりの1つについて(中篇)
- 人生において本当に大切なことを識別する手がかりの1つについて(前篇)
- 「情報オーバーロード」に抗して
- 「哲学にアマチュアはいるか」という問いについて
- 学校で学ぶことの最大の効用について
- 自分の身体に逃げ込むことについて
- 中道寺の「起床太鼓」の「自粛」について
- いわゆる「LGBT法案」について
- 手持ち無沙汰と退屈について(続き)
- 手持ち無沙汰と退屈について
- 「哲学とは何か」という問いについて(続き)
- 「哲学とは何か」という問いについて
- 同世代の作家を読むことについて
- 池袋暴走事故と「老人的なもの」の専制
- 負債としての蔵書について(続き)
- 読書習慣は、本をたくさん読ませることでは身につけさせられない
- 手も口も使わずに思考内容を出力することができるか
- ビデオゲームにおける「中世もどき」、および探求の旅
- 負債としての蔵書について
- 「催眠子育て」に関する記事を読んで家族の存在意義を考えさせられる
- 人文科学の存在理由について
- 「人文科学は何の役に立つのか」という問いについて
- 「食事に美味しさを求めるのは既婚者の贅沢」という意見について
- LINEとコミュニケーションのコスト
- 私はLINEを使いません
- カテゴリー: 世間話
- 多数者の専制について
- 蔵書目録を作る
- ホームセンターの愉しみについて、あるいは、「他の日常」へのまなざしについて
- ボートマッチ(vote match) の効用について
- 価値観の「アップデート」なるものについて(後篇)
- 価値観の「アップデート」なるものについて(前篇)
- サバティカル中
- 今後の更新頻度についてのお知らせ
- 書いた内容を憶えていない文章がもっともよく読まれていることについて(後篇)
- 書いた内容を憶えていない文章がもっともよく読まれていることについて(前篇)
- 不正行為の「高度化」と試験監督の役割について
- 緑の少ない地域に暮らすことについて
- 耳学問について、あるいは、「競馬でスったって同じじゃないですか」について(後篇、完)
- 耳学問について、あるいは、「競馬でスったって同じじゃないですか」について(中篇)
- 耳学問について、あるいは、「競馬でスったって同じじゃないですか」について(前篇)
- 「出典表示」をめぐる著作権継承者の苦労
- 「食べ歩き」は高級な趣味なのか、それとも、下等な趣味なのか(その2)
- 「食べ歩き」は高級な趣味なのか、それとも、下等な趣味なのか(その1)
- 「マスゴミ」がすべてなくなったらどうなるか
- 国民を「しつける」政治について
- 神は笑うか(後篇)
- 神は笑うか(前篇)
- 節分の豆は、不味いことに価値がある
- 「喜んでもらう」ことの罠
- 「コロナは風邪」と言うけれど
- スポーツが社会に与える害悪について
- 神経痛で身動きができなくなる
- NHKの受信料は支払っておいた方がよいと思う
- 万年筆の使い心地と値段の関係について(その2)
- 万年筆の使い心地と値段の関係について(その1)
- 「プライバシーポリシー」「免責事項」「リンクについて」「著作権について」
- 文房具店が減少すると生活の質が損なわれることについて(その2)
- 文房具店が減少すると生活の質が損なわれることについて(その1)
- 他人のカネを預かる覚悟について(後篇)
- 他人のカネを預かる覚悟について(前篇)
- 新年おめでとうございます(2023年1月1日)
- 近所の散歩に完全に飽きたことについて
- 冬休みが始まる
- 公共の交通機関はどのような意味において「公共」であるのか(後篇)
- 公共の交通機関はどのような意味において「公共」であるのか(前篇)
- 俗物の記号としての「長財布」について
- 冬至が近づく
- 「自転車には車道を走ってもらいたい」という意見について(後篇)
- 「自転車には車道を走ってもらいたい」という意見について(前篇)
- 切手収集について
- 「料理研究家」の価値について
- ブログと私の500日について
- 教養としての「教養としての」について(後篇)
- 教養としての「教養としての」について(前篇)
- 万年筆のキャップをポストすべきか
- 「神社の眺め」と「神社からの眺め」について
- 外国語の文献を原語で読むことの楽しさについて
- 名前によって女性と勘違いされることについて
- 観光客の増加と宿泊料金の上昇について
- 片づけの涯に手もとに残るはずの「好きなもの」について(後篇)
- 片づけの涯に手もとに残るはずの「好きなもの」について(前篇)
- 「日本は右傾化しつつある」という意見について(後篇)
- 「日本は右傾化しつつある」という意見について(前篇)
- 新型コロナワクチンの第4回の接種について
- 双子用のベビーカーを路線バスに乗せることについて
- 作品を無償で使わせてもらいたいと求められたら(その2)
- 作品を無償で使わせてもらいたいと求められたら(その1)
- いわゆる「表現の自由」の制限について(その2)
- いわゆる「表現の自由」の制限について(その1)
- いわゆる「選択的夫婦別姓」制度に反対する(後篇)
- いわゆる「選択的夫婦別姓」制度に反対する(前篇)
- 高級品を持つ資格について(後篇)
- 高級品を持つ資格について(前篇)
- 眠れない夜について
- 政治家の常識と世間の常識について(後篇)
- 政治家の常識と世間の常識について(前篇)
- 「洋書まつり」について(その2)
- 「洋書まつり」について(その1)
- マタニティマーク、ヘルプマークなどについて(その2)
- マタニティマーク、ヘルプマークなどについて(その1)
- 航空会社の好みについて(その2)
- 航空会社の好みについて(その1)
- マイナンバーカード取得の義務化について
- 過ぎ去らない過去について(後篇)
- 過ぎ去らない過去について(前篇)
- 大義への甘えについて(後篇)
- 大義への甘えについて(前篇)
- 腕時計について
- 老舗とはどのような店のことか
- 1週間は日曜日から始まるのか、それとも月曜日から始まるのか
- 地表面への愛について(その2)
- 地表面への愛について(その1)
- 「地下横断歩道」論(その2)
- 「地下横断歩道」論(その1)
- 「国葬」をめぐる合意形成について(その2)
- 「国葬」をめぐる合意形成について(その1)
- 面接への疑問について(その2)
- 面接への疑問について(その1)
- 2ボタンのスーツのジャケットのボタンについて
- 車社会とは自動車を単位とする社会であることについて(その2)
- 車社会とは自動車を単位とする社会であることについて(その1)
- 「道の駅」というものに行ったことが一度もないことに気づく
- 餌としての食事について
- ふたたび「手間のかかるインターネット」について、あるいは、集中から分散への道について(後篇)
- ふたたび「手間のかかるインターネット」について、あるいは、集中から分散への道について(中篇)
- ふたたび「手間のかかるインターネット」について、あるいは、集中から分散への道について(前篇)
- 現実逃避の手段としての高圧洗浄機について(後篇)
- 現実逃避の手段としての高圧洗浄機について(前篇)
- エイトライナーの建設計画について(後篇)
- エイトライナーの建設計画について(前篇)
- 400日間続けてブログを更新することについて
- 「自称右翼」について、あるいは、「バランス感覚」について
- 沖縄の土産物について(その2)
- 沖縄の土産物について(その1)
- アルコールの消費を増やすアイディアを政府が募集するなど、正気の沙汰とは思えない
- 中央線の快速は、杉並区内の駅をすべて通過してもよいと思う
- 墓参する(2022年8月10日)
- 都会の緑にはカネがかかっていることについて
- 「コード・カッティング」について
- 「根はいい人」とは「ろくでなし」であることについて
- 「訳あり」への警戒について
- 飲食店と客の関係の正常化について
- スーパーマーケットの有人のレジで精算を待つあいだ、客はどこに立っているべきか(その2)
- スーパーマーケットの有人のレジで精算を待つあいだ、客はどこに立っているべきか(その1)
- 大宮前大下水、あるいは松庵川について
- 感染者数の増加について
- 本の「ザッピング」に抗して(後篇)
- 本の「ザッピング」に抗して(前篇)
- 「高低差」を考えながら近所を歩くと
- ブログ2年目に当たって
- 年齢を重ねてよかったと思えることの1つについて(後篇)
- 年齢を重ねてよかったと思えることの1つについて(前篇)
- 民間企業の経営者はパソコンが使えなくてもつとまるものなのか(後篇)
- 民間企業の経営者はパソコンが使えなくてもつとまるものなのか(前篇)
- 2年半ぶりに会食したのだ
- 著作権継承者が見た「国立国会図書館の個人向けデジタル化資料送信サービス」について(後篇)
- 著作権継承者が見た「国立国会図書館の個人向けデジタル化資料送信サービス」について(前篇)
- 入浴への執着について
- 封緘の作法について(その2)
- 封緘の作法について(その1)
- 映画史の暗黒時代について(後篇)
- 映画史の暗黒時代について(中篇)
- 映画史の暗黒時代について(前篇)
- 許しがたい誤訳について
- エキュメニズムと宗教の終焉について
- 軽躁状態の社会について(後篇)
- 軽躁状態の社会について(前篇)
- 「反ワクチン陰謀論」の政党について
- 私たち末端消費者が企業に対してとるべき態度について
- 社会の変化に抵抗することについて(その2)
- 社会の変化に抵抗することについて(その1)
- いわゆるYouTuberに関するある疑問:究極の「デジタル小作人(digital sharecropper)」ではないのか
- 外国人観光客のマスク着用について(後篇)
- 外国人観光客のマスク着用について(前篇)
- セールスでかかってきた電話を先に切られた話
- 立食パーティーにおける会話の中断について
- 女性の引きこもりについて
- 「やる気」のない商店について(後篇)
- 「やる気」のない商店について(前篇)
- 窓ガラスに衝突する小鳥について
- 8年ぶりにファクシミリを使ったのだ
- 特殊女性的なある行動について
- 思い出す建物について
- 次の文章を読んで反論しなさい(その2)
- 次の文章を読んで反論しなさい(その1)
- データのエクスポート機能のないサービスは使ってはならない
- ブログの更新を300日間続ける方法について
- 体調の波について
- 「ミールキット」を食生活に取り込むことを諦めた3つの理由
- 大型連休の精神衛生について
- 普通に食事することについて
- 予約する客の責任について
- 第3回のワクチン接種の副反応について
- 蕎麦の花の蜂蜜の匂いに慣れる方法(匂いを消す方法ではなく・・・・・・)
- 「ダムホーム」のすすめ
- いわゆる「3D酔い」について(後篇)
- いわゆる「3D酔い」について(前篇)
- ウクライナの外務省が公開した動画について
- 若者における「同世代」の幅について
- マスクをつけない人々ばかりの眺めについて
- 買い物の前に際限なく情報収集することについて(その2)
- 買い物の前に際限なく情報収集することについて(その1)
- 「日本は貧しくなった」という意見について
- 電子レンジの買い換えについて
- よい自己紹介と悪い自己紹介について
- 郵便番号7桁と情報の冗長性について(後篇)
- 郵便番号7桁と情報の冗長性について(前篇)
- カラスとの闘いについて
- 高等学校無用論(後篇)
- 高等学校無用論(前篇)
- ウクライナからの避難民の積極的な受け入れに反対する(後篇)
- ウクライナからの避難民の積極的な受け入れに反対する(前篇)
- 「可能的なゴミ」と「捨てるコスト」について
- 第3回のワクチン接種の時期を決めかねる
- ミニマリストの敵としてのコレクションについて
- ブログを移転します(「はてな」からここに)
- 階段を使うことができない高層の商業施設について
- 会議における「オンライン」と「対面」について
- 京都の神社仏閣に課税することに反対する(後篇)
- 京都の神社仏閣に課税することに反対する(前篇)
- このブログのタイトルを変更しました
- 西村京太郎氏の生産性について
- 墓参する
- よいパン屋と悪いパン屋について(後篇)
- よいパン屋と悪いパン屋について(前篇)
- アメリカのテレビドラマについて(後篇)
- アメリカのテレビドラマについて(前篇)
- 「嫌なら付き合うのをやめればいいのに」という意見について(後篇)
- 「嫌なら付き合うのをやめればいいのに」という意見について(前篇)
- 「企業様」について(その2)
- 「企業様」について(その1)
- 究極の読書家について
- 日本のコロナ対策は失敗したのか(その2)
- 日本のコロナ対策は失敗したのか(その1)
- 中野駅で電車を乗り換えたくない2つの理由について(後篇)
- 中野駅で電車を乗り換えたくない2つの理由について(前篇)
- ブログの更新を200日続けました(あるいは、なぜ私はここに文章を書いてきたのか)
- 「他人の話をどこまで記憶しているべきか」という問いについて
- 万年筆を修理する
- 「かかりつけ医」について
- 「メールを転送する」とは何をすることであるのか
- いわゆる「愛犬家」について(後篇)
- いわゆる「愛犬家」について(前篇)
- 「ふるさと納税」について
- 公道は誰のものか
- 「仕事ができない」人の性格を形式的に考える(その2)
- 「仕事ができない」人の性格を形式的に考える(その1)
- 成人式について
- 2021年は、ものを買わない1年でした
- 冬の終わりについて
- 「沼」について
- 新年おめでとうございます(2022年1月1日)
- 「怒れる読者」について
- 明日から冬休みです
- 年末年始の食中毒について
- 「しないよりはした方がよいこと」について
- 「手間のかかるインターネット」について
- 夜中に目を覚ますことについて
- 新型コロナウィルス感染症の現状をめぐる「肌感覚」について
- 私に書けないものについて
- 冬の寒さについて
- グリーン車の効用について
- 情報のゴミ箱について
- 紙の手帳について
- モニュメントの氾濫について
- 敵を持つことの功罪について
- 「手ぶら」について
- 石敢當について
- 年賀状について
- 国民栄誉賞について
- 授業におけるジェスチャーについて
- 政界への過剰な興味について
- 「クロスドミナンス」について
- 「もらわないと食べられない菓子」について
- 条件なき崇敬について
- 生野菜について
- 粟(あわ)ぜんざいについて
- 私は秋が苦手です
- 「地域振興券」と「天下の愚策」について
- ふたたび故郷について
- 23区内への自家用車の乗り入れを原則として禁止したらどうかと思う(後篇)
- 23区内への自家用車の乗り入れを原則として禁止したらどうかと思う(前篇)
- 「望郷」について
- 100日について
- いわゆる「薩長」について
- ジャムだけか、それとも、バターとジャムか
- 「自称『普通の人』が日本を滅ぼす」という意見について(後篇)
- 「自称『普通の人』が日本を滅ぼす」という意見について(前篇)
- 規約違反ではないのか
- 『ジャーナリズム』(岩波新書)の仮名遣いと文字遣いについて
- 紀伊國屋書店ウェブストアの「感想・レビュー」について
- 「指人形」と政治リテラシーの問題
- コーヒー豆を冷凍する
- クラシック音楽の「全集」について
- ものを買うことの恥ずかしさについて
- クラシック音楽を「攻略」する話
- ワクチンの2回目の接種を終えました
- 無料のサービスとどのように付き合うか(続き)
- 無料のサービスとどのように付き合うか
- いわゆる「模擬天守」について(後篇)
- いわゆる「模擬天守」について(前篇)
- どうしても飲み屋で飲みたいのなら、男女を問わず客は全員ブルカを着用することにしてしまえばよいと思う
- 「日本海デビュー」した話
- 「自分の味に飽きる」という経験について
- ものすごく姑息な感じがするのですが……
- 「45歳定年制」について
- マスクをつけない人々について
- 会社員亡国論
- 私は廃墟が苦手です
- 老害について、あるいは、「経験しすぎ」の罠について
- Uber Eats(ウーバーイーツ)の配達員は何度もベルを鳴らす……
- 狭小の建売住宅が増えると
- 礼儀正しい丁寧な言葉遣いへの意志
- 新型コロナウィルスの今後といわゆる「スペインかぜ」
- 冬になるまでに接種できる見込みになった
- 私たちの社会において許されていることと許されないことについて(補足)
- 英語のチラシを読む力
- 英語力の向上について
- 私たちの社会において許されていることと許されないことについて
- スマホを「車両」扱いにしたらどうかと思う
- 葬儀において「泣く」ということについて
- 「マインドフル・イーティング」なるものについて
- 夏休み中に接種を受けることは諦めました
- 東京のディープ・サウスについて
- なぜ私は荻窪に住み続けるのか
- 価値ある著者について
- いわゆる「いじめ」について
- 「たしなむ程度」と言われても
- ノンアルコール飲料
- アルコールが媒介する不可視のネットワーク
- 酒を飲む人間は、人生の貴重な時間をドブに捨てている
- カテゴリー: 言葉の問題
- ふたたび手書きの効用について、あるいは「ゾンビ句」について
- 「てあげる」
- 手書きの効用について(後篇)
- 手書きの効用について(前篇)
- アプリを用いた外国語学習の非効率について(その2)
- アプリを用いた外国語学習の非効率について(その1)
- 「世界を変えた・・・・・・」「歴史を変えた・・・・・・」の氾濫について
- 言葉の辞書的意味の紹介から始まる文章に碌なものがないことについて
- 「清水(しみず)」は「重箱読み」なのか
- Markdown雑感(素人の素人による素人のための・・・・・・)(後篇)
- Markdown雑感(素人の素人による素人のための・・・・・・)(前篇)
- 「では無く」「する様に」「した時」「と言う事だ」「と言う物ではない」・・・・・・(後篇)
- 「では無く」「する様に」「した時」「と言う事だ」「と言う物ではない」・・・・・・(前篇)
- 最近の日本語の発音への違和感について
- 方言がわからないことについて
- 音読を支える黙読について(後篇)
- 音読を支える黙読について(前篇)
- 「あなたは何ゴミ?」について(全4回の4、完)
- 「あなたは何ゴミ?」について(全4回の3)
- 「あなたは何ゴミ?」について(全4回の2)
- 「あなたは何ゴミ?」について(全4回の1)
- 「ミルフィーユ」と「餃子」について
- 東京メトロの”Find my Tokyo.”について(後篇)
- 東京メトロの”Find my Tokyo.”について(前篇)
- 否定文を作る能力について
- 動物には言語があるか(後篇、完)
- 動物には言語があるか(中篇)
- 動物には言語があるか(前篇)
- 「券売機」か「売券機」か
- 「対応をとる」
- 接続助詞の「ので」と「から」について
- カギ括弧の濫用について(後篇)
- カギ括弧の濫用について(前篇)
- 「『もの』の色」について
- 文章の冗漫について
- 「散見」
- 文法警察としての私
- 「ひもとく(繙く)」
- 「御用達」
- 「具現化する」
- カテゴリー: 高等教育
- いわゆる「教養教育」を軽視してきたせいでわが国が文化的「後進国」へと転落するかも知れないことについて(全4回の4、完)
- いわゆる「教養教育」を軽視してきたせいでわが国が文化的「後進国」へと転落するかも知れないことについて(全4回の3)
- いわゆる「教養教育」を軽視してきたせいでわが国が文化的「後進国」へと転落するかも知れないことについて(全4回の2)
- いわゆる「教養教育」を軽視してきたせいでわが国が文化的「後進国」へと転落するかも知れないことについて(全4回の1)
- シラバスを読まずに履修登録すると、どのようなことが起こるか(その2)
- シラバスを読まずに履修登録すると、どのようなことが起こるか(その1)
- 「語学学校の教師の方が大学の語学教師よりも教え方が上手だから、大学の語学の授業は、語学学校の教師にやってもらえばよい」という意見について(その2)
- 「語学学校の教師の方が大学の語学教師よりも教え方が上手だから、大学の語学の授業は、語学学校の教師にやってもらえばよい」という意見について(その1)
- 学修の「コスパ」について
- 奨学金の思い出について(後篇)
- 奨学金の思い出について(前篇)
- 「学習権の侵害」なのか
- 「供給側からの高等教育論」のむなしさについて(後篇)
- 「供給側からの高等教育論」のむなしさについて(前篇)
- いわゆる「倍速視聴」について
- 「ニセ学生」の消滅について(後篇)
- 「ニセ学生」の消滅について(中篇)
- 「ニセ学生」の消滅について(前篇)
- 問題作成をめぐる悩みについて(その2)
- 問題作成をめぐる悩みについて(その1)
- 2022年度の春学期が終わった
- 「授業の恥はかき捨て」とすべきことについて(その3)
- 「授業の恥はかき捨て」とすべきことについて(その2)
- 「授業の恥はかき捨て」とすべきことについて(その1)
- 教壇論
- あらためて「大学における学問の自由」について
- 教室の黒板(またはホワイトボード)の文字を消すのは誰の仕事か
- 学生は暗闇に坐って何を待っているのか
- 学生を呼ぶときに使用する呼称について(後篇)
- 学生を呼ぶときに使用する呼称について(前篇)
- 対面での授業を再開してからの1ヶ月について
- 和泉ラーニングスクエアについて
- 飛び入学したあとに中退した学生に高卒資格を与えることに反対する
- 大学の教育を妨害するイベントとしての「内定式」について(その2)
- 大学の教育を妨害するイベントとしての「内定式」について(その1)
- 何がどうなると大学は「グローバル化」したことになるのか(その3)
- 何がどうなると大学は「グローバル化」したことになるのか(その2)
- 何がどうなると大学は「グローバル化」したことになるのか(その1)
- 入試において監督者は何のためにいるのか(その2)
- 入試において監督者は何のためにいるのか(その1)
- ふたたび「就職予備校」について
- 大学の入学資格における年齢の制限について
- 大教室での講義からもう2年間も遠ざかっていることに気づく
- 大学における授業の開始と終了を知らせるチャイムについて
- 束縛された精神について
- GPAへの信頼について
- 民間企業の採用活動で成績が利用されることに反対する
- 「純粋動画」と精神衛生の問題(後篇)
- 「純粋動画」と精神衛生の問題(中篇)
- 「純粋動画」と精神衛生の問題(前篇)
- 「教室」の概念
- 授業の進め方をめぐるむなしい努力
- 「就職予備校」の現実について
- 大学入試の試験場では高校の制服を禁止すべきだと思う(後篇)
- 大学入試の試験場では高校の制服を禁止すべきだと思う(前篇)
- 大学入試の会場での忘れられない光景
- 私がオンライン授業から得た利益
- オンライン授業により、学生の授業へのコミットメントは表面的には改善されたが……
- 「セクハラしなさそう」と言われて
- 「単位が必要」という以外の理由なしに授業に出るのは自己虐待です
- 古典を優先的に読むことの意義を学生に問われたらどう答えるか
- 授業で使用する教科書について
- 成績は、分割するほど差が開く